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――彼等の知らない内に、もう物語は、始まっている。
昼と呼ぶには遅く、夕暮れと呼ぶには早い、昼寝には最適なまったりとした時間――彼は小さく深呼吸をした。
目の前に広がっているのは、自分の住む小さな村。その村全体を見渡せる広い丘に彼、ヤムは居た。そこには誰のものとも分からない小さな墓石があり、不謹慎ながらもヤムはそこに腰を掛け村と、それを包む大きな空を眺めていた。これはヤムが最近毎日行うものであり、起きてすぐ顔を洗うのと同じくらい当たり前の習慣になりつつあった。
「まーたこんな所に居た、ヤムってば」
ふと、後ろから聞き慣れた声がして後ろを振り返ると、案の定そこには幼馴染のチルがおり――その後方には珍しく、同じく幼馴染のアスクの姿があった。
「どうしたの、二人して」
自分でも自覚していた程硬かった表情を少し崩し、二人へ問いかける。
そんなヤムを見たチルは不安そうな顔をして、ヤムを見詰め返した。丘の上特有の強い風が、チルの長く綺麗な髪をふわり、と舞い上がらせる。
チルは幼い頃から整った顔つきをしていたが、それは成長と共に女性らしい愛らしさを増して行き――正直、幼馴染にしておくには勿体無い程の"美人”になった。髪の毛も陽の光を浴びるときらきらと透き通る栗色で、腰ほどあるそれを、お洒落且つ上手にひとまとめにしている。一見ポニーテールのようにも見えるが――どうやら違うらしい。女心の分からないヤムは、髪型の事で一度チルと揉めており―・・・それは酷い言い負かされ様だった為、トラウマに近い苦い思い出として、その件についてはなるべく避けている。
「ヤム?・・・無理、してない・・・?」
その言葉で、ふと我に返ったヤムは、チルの思ってもみなかった言葉にしばし呆然とした。
「どうして?」
素直にそう訪ねると、チルの顔は更に不安そうに、悲しそうに歪んだ。いけない質問だったのだろうか、とヤムが狼狽えると、チルは意を決した様に口を開いた。
「・・・イヅルさんが、消えちゃったから」
その言葉は、思ったよりもヤムの心を強く抉った。まだ、整理し切れていなかったのか――そう思うと、自分の笑顔が崩れていくのが分かった。それを見たチルは、俯き、唇を噛んでしまった。別に、チルを傷つけたい訳じゃないんだよ――そう思っていても、上手く言葉に出来ない。今こそ支え合って、協力して乗り越えなければならないのに「一人にして欲しい」という感情が表立ってしまう。
そんな二人の様子を今までずっと見ていたアスクは、ヤムとチルにゆっくりと近づき――まずはチル、そしてヤムの順番で頬を叩いた。もちろん、ヤムへの方が圧倒的に力が強く、気持ち良いくらいぱちん、という音が丘の上に木霊したのは言うまでもない。
「お前達は幾つだ?」
あからさまに苛立ちを浮かべたアスクが、二人の間に立ち、二人を交互に見ながら言い放つ。叩かれると思ってもいなかったヤムとチルは、目を白黒させ、アスクの言葉など全く耳に入っていない様子だった。それが更にアスクをイライラさせた様で、アスクの苛立ちは誰が目にしても、決して関わりたくないものであった。
「お前達は幾つだ、と聞いているんだ」
「・・・十七」
「だったら、もう少し周りを冷静に見られるだろう!」
いつも感情を表に出さないアスクが、語尾を荒げ、ほとんど咆哮に近い声でヤムとチルを怒鳴りつけた。反射的に体が小さく震え、二人は恐る恐るアスクの顔色を伺う。・・・どうして、こんなにも怒っているのか。
「身内が消えたのは、この村のどの子供達も一緒だ。それなのに、お前・・・ヤムと来たら何だ?周りの奴は皆一生懸命支え合おうとしているのに、いつもこの丘に来ては、自分だけが悲劇の主人公とばかりに気取りやがって」
一気にまくし立てたアスクの言葉は、確かに正論である。何かショックな事があると、いつまでもうじうじとそれを引きずるのは、彼のいけない部分である。今回の事件で、今までのそれに耐えきれなくなり、アスクはキレたのだろう――と、冷静に自分の中で分析する。
「それからチル、お前もお前だ!俺にはヤムの悪口を散々言うくせに、いざ本人を目の前にすると優しい言葉しか掛けられない――とんだ臆病者だ、お前は!悪口を毎日毎日聞かされる俺の身にもなってみろ!」
そこで、ようやくチルも、何故自分が叩かれたのか―理由が分かり、酷く落ち込んだ。
そして悪口言われていたのか、と同じく落ち込むヤム。
暫く項垂れていた二人は、小さく溜息をつくと同時に、
「「ごめんなさい」」
と息を合わせたように言葉を重ねた。
その様子に少しは満足したのか、小さく「馬鹿野郎が」と漏らすと、足早に丘を下りていった。ヤムとチルもそれを追いかける。
・・・――ふと、何かの気配を感じ、ヤムは背後をちらりと振り返る。しかし、向こうには先程と同じ風景が広がっており――気のせいか、とまた歩を進めた。
ヤム達が立ち去った後、先程の丘には、心地良い澄み切った風と、一人の影があった――